校正マンの時代 | 土方美雄の日々これ・・・

校正マンの時代

昔、東京新聞(中日新聞東京本社)で、校閲の仕事を3年くらい、していた。大学を卒業したのに、仕事がなく、バイトで入社した。夕方、出勤し、社員食堂で飯を食い、午前3時くらいまで、朝刊の記事の、ゲラ校正をしていた。

仕事が終わると、新聞社がマイクロバスを、方面別に出してくれ、それで、明け方、阿佐ヶ谷の下宿まで、戻った。

3年目に、正社員にしてもいいという話が、出た。ただし、ずっと、校閲部勤務だという。仕事は昼夜、完全に逆転しているし、大晦日だって、休めない。いくら何でも、それはイヤだなと思って、断った。母からは、新聞社に勤められるのに、なんで断ったの・・と、えらく、怒られた。

その後、しばらく、雑文書きをしていたが、妻に、結婚の条件に、定職についてといわれて、とある業界紙の記者になった。それからは、いくつもの業界紙を渡り歩く人生になった。

校正は、赤ペンを片手に、元原とゲラを照らし合わせて、赤字を入れるが、明らかな誤字や、記述に間違いがあれば、訂正もする。私のような下っ端は、前閲といって、さらに、ベテラン校閲マンが、ダブル・チェックをする。

様々な記事が流れてきて、退屈はしなかったが、決して、楽しい仕事でも、ない。下宿に戻ると、泥のように寝て、昼ごろ、起きて、茶店(ぽえむ)で飯を食い、阿佐ヶ谷や、乗り換え駅の新宿を、ブラブラして、夕方、再び、新聞社に向かう。毎日が、そのくり返し。私の20代半ばの、日常茶飯。