土方美雄の日々これ・・・
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キリコに宇野亞喜良、そして、泣く泣く、スマホ・デビューかも???

確か、キリコ展が、東京都美術館で、もう始まっているハズだと、調べたら、今週末からだった。キリコ展は、何度も観ているが、多分、今回観るのが、私にとっては、最後のキリコ展になるかなぁ???とも、思うので(いつも、そう思う)、観に行くつもり。で、今日は、東京オペラシティーアート・ギャラリーで、大規模な宇野亞喜良展をやっているので、観に行ってみようかなと、思っている。

宇野亞喜良は、まだ、生きていて、確か、90歳くらい。かつて、一世を風靡したグラフィックデザイナー。横尾忠則さんも、元々は、グラフィックデザイナーだったけれど、画家としても、大家になった。東博でも、個展をした。宇野亞喜良さんは、その点、グラフィックデザインの世界に固執した、感じ。もっとも、絵本とかは、描いていたけれども・・ねッ。今回の大規模展では、宇野さんが手掛けた舞台美術なども、数多く、展示されるらしい。

初台は新宿乗り換えなので、京王新線の駅に行く途中にある、陳麻婆豆腐にでも、寄ってみようかなぁ???

それから、まったく関係ない話ですが、auによると、私の使っているガラケーは、もうすぐ、海外で使えなくなるとのことで、もういい加減、スマホに換える必要があるので、イヤイヤながら、今年はスマホ・デビューの年になりそう。スマホはマスターするのに時間がかかると思うので、今からなれておかないと、海外で使い方がわからなくなったら、もう、アウトだよと、某水口さんに、脅されているし・・。ああ、イヤだ、イヤだ。そういえば、上條陽子先生、スマホにお換えになったけれども、使い方、全然、わかっていなかったよなぁ・・と(泣)。

 

 

 

友人、癌再発

友人が、癌が再発して、昨日、入院。前は、大腸で、今回は直腸だとか・・。明日、手術だそうだ。相当、下血したらしいので、癌のステージが心配。

病院は、西国分寺駅から、バスで5、6分くらいのところ・・だったっけ???前と同じ病院。結構、遠いので、お見舞いに行くのが、大変。前回は、コロナ禍で、面会全面禁止で、でも、ついたら電話して・・というので、電話したら、1階にあるコンビニの前で待ってて、といわれて、パジャマ姿で、病室から抜け出してきて、非合法の面会。だ、ダメでしょう、せっかくの面会全面禁止措置が、台無しだ。

今回は、一応、短時間なら、合法で、面会できるらしい。先日まで、私が入院していた、東京蒲田医療センターでも、面会は15分以内なら、可だった。とはいっても、1時間以上もいて、看護師さんに、いい加減にして下さいと、厳重注意されている家族も、いた。

しっかし、西国分寺は、遠いなぁ・・と。

私の方は、骨折した骨が、一向につかずに、主治医が厳しい表情。このままだと、再手術になるとのこと。その前に、一応、超音波でもかけてみる???というので、お願いした。ということで、ゴールデンウィーク明けから、超音波治療。超音波で、骨がつくとも思えないが、とりあえず、やらないよりは、やった方がいいよね、多分。

なお、現在、続けているリハビリの方は、5月一杯で、終わり。骨がつく、つかないとは別に、リハビリ出来る期間は、あらかじめ、決められている、とのこと。あとは、放置ですか・・。

 

 

 

 

 

 

「オッペンハイマー」

まぁ、「原爆の父」ロバート・オッペンハイマーを主人公にした時点で、一体、どういう映画になるかは、はじめから、わかっていたといえる。クリストファー・ノーラン監督の「オッペンハイマー」は、アカデミー賞も獲って、おおむね、高評価らしい。

物理学者のオッペンハイマーは、アメリカ合州国のすすめるマンハッタン計画のリーダーとなり、原爆を開発し、その原爆は、米軍によって、すぐに、広島と長崎に投下され、甚大な被害をもたらすことになる。その威力に衝撃を受けたオッペンハイマーは、原爆に続く、水爆の開発には反対の意を表明し、結果的には、巷の「赤狩り」にも巻き込まれ、共産党支持の過去を、問われることになる。

しかし、これは本当に、反戦の映画なのか???オッペンハイマーは、原爆の開発に、極めて積極的だったし、原爆を広島と長崎に落として、その威力を見せつけることで、戦争は終わると、周囲に、主張し続けていた。本当は、ドイツに落としたかった・・とも。原爆を落とすことで、日本の民衆に被害が出ることも、当然のことながら、想定していた。たとえ、五千や1万の民衆が死んでも、それによって、平和がもたらされるとまで、彼はいってのけたのだ。実際には、原爆の被害は、オッペンハイマーの想定をはるかに超えるものであったし、結果的には、原爆の発明は、世界をさらなる軍拡競争へと巻き込んでいくことになるのである。決して、原爆を落とすことで、平和は来なかったのだから、彼の考えはすべて間違っており、その責任を彼が負うことは、明々白々だ。第1、平和のための原爆という考え方自体が、そもそも、間違っている。そのための犠牲になるのは、常に、民衆なのだ。ウン十万なら問題で、五千や一万なら、許容範囲だなどということは、絶対に、ない。

故に、私は、この映画を、決して、評価しない。もちろん、広島・長崎の被害を、声高に叫ぶ一方で、日本のアジアへの加害の実態に目をつぶる傾向にも、同様に、絶対に、反対である。

オッペンハイマーには、キリアン・マーフィー、その妻・キティにエミリー・グラント、その他、ロバート・ダウニーJr.、ケネス・ブラナー、マッド・デイモン等、豪華な顔ぶれが揃った。

 

 

 

 

アンデスの物語世界&ふざけんな、オッペンハイマーッ!!!

家に着いたのが、午後7時半ごろだったので、30分遅れで、藤田護さんの「アンデス南部高原地帯のアイマラ語を中心とした物語世界へ」を、Zoom視聴。参加費を払った人は、44人いたが、Zoomでリアルタイムで観たのは、その約半数くらいである。私も危ないところだったが、どうにか、かろうじて、放映に間に合った(もちろん、遅刻は遅刻ですが)。

「ラテンアメリカ探訪」はあと3回で、通算200回。すでに、5月、6月は、その内容と話者が決まっていて、7月か8月に、通算200回の記念シンポを開催する。もっとも、7月は「ラテンアメリカ探訪アート展NOSOTROS」、8月は「土方美雄と、時代遅れの8月の濡れた砂」展もあるので、果たして、無事、乗り切れるか、どうか、不安。

昨日は、川崎のチネチッタで、「オッペンハイマー」を観た。3時間もの超大作で、しかも、クリストファー・ノーランお家芸の、時間軸が、バラバラ。原爆を完成させ、広島と長崎に投下しておいて、その被害の大きさにおののき、水爆開発反対に転じる・・って、おいおい、戦争をやめさせるために、広島と長崎に原爆を投下する、出来れば、ドイツにも使いたかった・・って、いっていたのは、てめえだろうが、オッペンハイマーッ!!!アカデミー賞を獲ろうが、何を獲ろうが、私はこんな映画は嫌いだし、反戦映画だとも、まったく、思わない。いずれ、映画に関するコメントは、多分、書くが、疲れすぎていて、今日、明日は、無理。

 

「陰陽師0」

夢枕獏の原作を元???に、監督の佐藤嗣麻子が自ら脚本を書いた、若き日の安倍晴明と、その親友・源博雅の出会いを描いた「陰陽師」の前日譚。安倍晴明に山崎賢人、源博雅に染谷将太。山崎は「ゴールデンカムイ」「キングダム」の2大人気シリーズの主演に続き、「陰陽師0」にも、主演。まさに、文字通り、向かうところ敵なしの、勢い。

出来は、まぁ、合格点かな???という感じだけれども、原作者の漠さんが、絶賛しているので、よしとしよう(たとえ、社交儀礼だったとしても)。

以前の、野村萬斎さんが安倍晴明を演じた「陰陽師」シリーズに比べれば、特撮は格段に進歩した。すでに完成形の、野村萬斎の晴明に比べ、山崎賢人の晴明は、陰陽師になる前の晴明なので、まだ未熟な部分もあって、これはこれでよいと思う。染谷将太は、ハッキリいって、博雅のイメージからは、少し遠いかな???と危惧していたが、さすが、演技巧者。確かに、博雅そのものの人物像を、キチッと、つくりあげていた。脱帽です。

何か、山崎・染谷コンビの「陰陽師」が、さらに、観たくなってきた。

 

 

 

ドラゴン・タトゥーの女、再び!!!

ブログに載せようと書いた、長めの原稿を、瞬時に、失ったショックから、立ち直れず、長いブログを書く気がしない。

昨日も、夜の12時過ぎに、夕食というか、その日、初めての食事。開いているのは、国道筋のラーメン店、ただ1軒なので、選択肢はゼロだ。食べ終えてから、そういえば・・と思い出したのが、徒歩十数分くらいのところに、ファミレスがあったこと。でも、ファミレスって、昔は、24時間営業だったけれども、今も、そうなのか???そもそも、潰れずに、今もそこにあるのか、どうかも、わからない。スマホで調べる???残念ながら、当方は、ガラケー。

大昔、深夜に、よくそこに、コーヒーを飲みに行って、ドリンクバーで、3杯くらい、飲んで、時間をつぶしたことを、思い出したのだ。いつもドリンクバーでは悪いと思って、時々、ドリアとかを、頼んだりも、した。ドリアって、ファミレスくらいでしか、頼まないなぁ・・とも。私は、どちらかといえば、グラタンの方が好きだが、グラタンも、チンするだけの、冷凍食品くらいでしか、食べない。

まぁ、それはどうでもよいとして・・。

昨日から、「ミレニアム7」(早川書房、上・下2巻、各1980円+税)。7作目からは、スウェーデンのカーリン・スミルノフが担当し始めた。3部作の予定だという。最初の3作を書いたスティーグ・ラーソンが急死してから、これで2人目の代作者である。ラーソンの当初の構想では、10部作だったらしい。もちろん、ラーソンがどう、物語をつづるつもりだったのかは、天のみぞ知るなので、ラーソンが喜んでいるか、どうかも、天のみぞ知るである。

確か、ラーソンが途中まで書いた、「ミレニアム4」の原稿があったらしいが、4作目から6作目までは、それは無視されて、別の作家(ダヴィド・ラーゲルクランツ)が、書くことになった。ラーソンの4が、かなり、気になる。

 

 

 

 

 

原稿消えて、復元不能

書いた、相当、長めの原稿が、すべて、消えた。復元不能。もう1度、書き直す気もしないので、書かなかったことにするしかない。あ~あ、かなりの時間を、無駄遣いしてしまった(泣)。ダメージが相当大きかったので、同じテーマでは、おそらく、もう書かないと思う。

校正マンの時代

昔、東京新聞(中日新聞東京本社)で、校閲の仕事を3年くらい、していた。大学を卒業したのに、仕事がなく、バイトで入社した。夕方、出勤し、社員食堂で飯を食い、午前3時くらいまで、朝刊の記事の、ゲラ校正をしていた。

仕事が終わると、新聞社がマイクロバスを、方面別に出してくれ、それで、明け方、阿佐ヶ谷の下宿まで、戻った。

3年目に、正社員にしてもいいという話が、出た。ただし、ずっと、校閲部勤務だという。仕事は昼夜、完全に逆転しているし、大晦日だって、休めない。いくら何でも、それはイヤだなと思って、断った。母からは、新聞社に勤められるのに、なんで断ったの・・と、えらく、怒られた。

その後、しばらく、雑文書きをしていたが、妻に、結婚の条件に、定職についてといわれて、とある業界紙の記者になった。それからは、いくつもの業界紙を渡り歩く人生になった。

校正は、赤ペンを片手に、元原とゲラを照らし合わせて、赤字を入れるが、明らかな誤字や、記述に間違いがあれば、訂正もする。私のような下っ端は、前閲といって、さらに、ベテラン校閲マンが、ダブル・チェックをする。

様々な記事が流れてきて、退屈はしなかったが、決して、楽しい仕事でも、ない。下宿に戻ると、泥のように寝て、昼ごろ、起きて、茶店(ぽえむ)で飯を食い、阿佐ヶ谷や、乗り換え駅の新宿を、ブラブラして、夕方、再び、新聞社に向かう。毎日が、そのくり返し。私の20代半ばの、日常茶飯。

 

恥多き人生

ひとつ前のブログのタイトルは、「うたたか」ではなく、当然のことながら、「うたかた」です。気づかずに、半日ずっと、放置していた。恥ずかしい。

それから、「さよならだけが、人生だ」は、これは私が書いた通り、井伏鱒二が正解。太宰治ではないのです。以前、天野恵一さんという人と、太宰か、井伏かで、くだらない、大論争。私が、勝ちました。そう、いかにも、太宰がいいそうなフレーズだけれども、井伏鱒二なのです。私は、若いころ、太宰治の大ファンで、そのすべての作品を、読破しているので、「さよならだけが、人生だ」なんて、太宰が書いていないことは、百も承知。でも、天野さんは、絶対、太宰だと言い張るので、何かを賭けたのです。何を賭けたのかは、もう、忘れたけれども、きっと、下らないものだ(笑)。

実をいうと、昔、父の本棚にあった、文学全集で、井伏鱒二と太宰治の巻があり、それに井伏の作品として、載っていたのです。井伏鱒二なんて、ほぼ読んだことないので、そうでなければ、それが、井伏が書いた詩のフレーズだなんてことは、わからなかった。井伏と太宰、全然、作風は違うけれども、実は、師弟関係なのですね。もちろん、井伏が「師」。

こう見えても、私は昔は、「文学青年」だった。小説も、詩も書いたし、新日本文学会の主催する日本文学学校にも、在籍していたことがある。でも、小説は、活字になったのは、たった2本だけだし、全然、ものにならなかった。兎にも角にも、ライターにはなったが、所詮、雑文書き。

最初の仕事は、とある雑誌での、覆面座談会の記事。実は、座談会など、やっておらず、すべて、私がでっち上げた。何でも、チャチャっと書くので、重宝がられた。頼まれて、ゴースト・ライターもした。恥多き人生である。

 

 

 

 

 

 

うたかた

昨日は、所用で、大森へ。その用をすませたあと、久しぶりに、「坂内」へ行き、肉そば(チャーシュー麺)の大盛りを食べ、その後、キネカ大森へ。「Here」を観る。

さらに、駅ビル・アトレのブック・ファーストで、「陰陽師0」のノベライズ(文庫本)を、買う。夢枕獏の原作をもとに、監督の佐藤嗣麻子が脚本を書き、それをノベライズにしたヤツ。映画は、今日、公開。晴明と博雅の出会いを描いた物語である。原作とは少し印象が違うが、若き日の清明だし、社交儀礼かも???ですが、原作者の獏さん自身が、その出来には満足しているようなので、まぁ、いいか・・という感じ。いずれ、観るつもり。

それから、スタバに入って、その本を読み、温かいチャイティーラテの、トールサイズを飲んだ。

実は、30年ぶりに、野毛一起さんにメールを書き、返信もいただいた。彼も、私とほぼ同年代なので、70代。お互いに、長い、回り道の、人生である。

娘の病気は、多分、飲んでいる薬の副作用と、判明。同じ病院なので、どうするか、先生同士で、科を超えて、話し合っていただくことにする。いずれにせよ、原因不明のままよりは、一歩前進。二歩後退にならないことを、願っている。

私自身は、今日は下痢。下痢止めストッパーを飲む。

人生はうたかただ。泡のように、消える。さよならだけが、人生だ(井伏鱒二)。

 

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